歴史と見所|白骨温泉【公式】 白骨温泉 しらほね

歴史と見所

History and Highlights

五彩けんらんたる絶景

永い歴史と伝説

Storied Past

白骨温泉の名を世の中に伝えてくれた作家・中里介山は「五彩絢爛(けんらん)たる絶景」と褒めたたえたました。この山深い谷間に、静寂と豊富な出湯を満たす名湯・白骨温泉があります。白骨温泉はいつごろ湧出し、だれが開湯としたのか文献は残ってはおりませんが、鎌倉時代(1185年頃-1333年)北陸地方と幕府を結ぶ最短コース「鎌倉往還(おうかん)」が開かれた際には、すでに湧出していたと伝わることから600年以上の歴史をもつといわれる温泉地です。

The writer Kaizan Nakazato, who helped spread the word about Shirahone Hot Springs, praised its “beautiful, multicolored scenery.” This valley deep in the mountains is where the famous Shirahone Hot Springs well from the ground in silent abundance. Though no written records remain of when Shirahone Hot Springs was discovered or who opened the bath, in the Kamakura Era (1185-1333), when the shortest route connecting the Hokuriku region and the base of the shogunate, Kamakura Okan Road, was opened, we are told the springs were already running. This hot spring resort has more than six hundred years of history behind it.

戦国時代には武田信玄によって乗鞍岳のふもとに銀山が開発されて、負傷した兵士や鉱山の炭鉱夫たちを癒す「隠し湯」として愛用したともいいます。

本格的な湯宿が建ち並びはじめたのは、江戸の元禄時代(1688-1703)。連泊しながら病気やケガを治そうと湯治客が訪れました。元来、歓楽のためにつくられた温泉地ではなく、霊泉あらたかな温泉地であり、秘湯として深い山々に守られてきた白骨温泉。病気やケガを治したい一心で訪れる方々ばかりです。 「3日入れば、3年風邪をひかない」という白骨温泉の言葉からは、当時のお客様の本心が聞えてくるような気がします。

以来、現在にいたるまで多くの著名人が訪れてくださいます。『大菩薩峠』を描き、白骨温泉の名を世の中に伝えてくれた作家・中里介山は「五彩絢爛(けんらん)たる絶景」と褒めたたえてくれました。歌人・若山牧水は持病の胃腸病を治すために幾度となくこの地を訪れ、歌を残し紀行文に載せています。

諸国をめぐる文人をもうならせた白骨温泉の風景。山々と緑の木々、野鳥の声に耳をすませながら野天の風呂に浸り、遠い偉人の作品に想いを馳せてみるのも楽しいものです。

見所

Highlights

山紫水明

Gorgeous Valley

山の緑、水の碧が織りなす山紫水明の温泉地。人々の手が加わらない風景が見られるのも、白骨温泉の魅力のひとつです。乗鞍岳を見上げ、ブナやナラ林を眺めたあとは、冠水渓や竜神の滝を散策。湯上がりの後、ぶらり訪れて見ては。標高、約1400m。夜はもれる光もなく、晴れた日は満天の星空でロマンティックなひと時を。

The hot spring resort is a place of outstanding beauty, with the green of the mountains interplayed with the blue of the water. One of the attractions of Shirahone Hot Springs is seeing scenery that looks untouched by human hands. After looking up at Mt. Norikuradake and gazing upon forests of beech and Japanese oak, stroll by the Kansuikei Gorge and the Ryujin Waterfall. A nice place for a leisurely visit after a bath. Elevation approx. 1,400 m. And there’s no light pollution at night, so the starry sky on clear days sets a romantic mood.

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噴湯丘・球状石灰岩
白骨温泉の湯は炭酸石灰を多く含むため、温泉の噴出口周囲に沈殿物が付着します。それが多量に重なってできた「噴湯丘(ふんとうきゅう)」。なかには球状の石灰岩もあり、国の天然記念物に指定されています。
                       
              

(ふんとうきゅう・きゅうじょうせっかいがん)
太古に湧出した白骨温泉の湯には、炭酸石灰成分が多く含まれます。そのため噴出した場所には沈殿物が多く付着して幾重にもなりました。この沈殿物のなかには世界的にもたいへん珍しい球状の石灰岩が含まれ、国の天然記念物に指定されています。噴湯丘が見られる場所は、白船グランドホテル前の道路右手と(解説の看板が目印)【白骨温泉観光案内所より徒歩約8分】と、かつらの湯丸永旅館の裏手【白骨温泉観光案内所より約1キロ】の2ヶ所。

             
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若山牧水・喜志子の碑
白骨の地をこよなく愛した歌人・若山牧水(わかやまぼくすい)。牧水の亡き後、彼を偲び一人訪れた喜志子(きしこ)夫人。二人の残した歌は、強く結ばれた夫婦の絆を感じさせてくれます。

(わかやまぼくすい・きしこのひ)
●白骨温泉観光案内所より徒歩約15分。

『秋山に 立つむらさきぞ なつかしき 墨焼く煙むかつ峰にみゆ』若山牧水

歌人・若山牧水は信州の白骨温泉をこよなく愛したひとりで、白骨温泉や上高地、平湯を旅しながら白骨温泉の湯で胃腸の疲れを癒したと伝わります。滞在した湯屋で上記の歌を詠み、氏を偲んで石碑としました。また、氏は歌だけでなく紀行文のなかでも白骨温泉を度々登場させていて、明治・大正当時の白骨温泉のひなびた秘湯風情をいまに伝えてくれています。

「信州白骨温泉は乗鞍岳北側の中腹、海抜五千尺ほどのところに在る。温泉宿が四軒、蕎麦屋が二軒、荒物屋が一軒、合せて七軒だけでその山上の一部落をなしてをるのである。郵便物はその麓にさかえる島々村から八里の山路を登って一日がかりで運ばるゝのである。急峻な山の傾斜の中どころに位置して、四邉をば深い森が囲んでいる。渓川の烈しい音は聞えるが、姿は見えない。胃腸病によく利くといふので友だちに勧められ、私はそこに一月近く滞在していた」
若山牧水『樹木とその葉 火山をめぐる温泉』より
若山牧水がこの世を去ったあと、夫人の喜志子はひとり氏を偲んで白骨温泉を訪れたという、夫婦の絆の強さを感じるエピソードもあります。

■若山牧水(わかやまぼくすい)
1885(明治18)年生まれ。戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。1912年、喜志子と結婚し2男2女をもうける。代表作『別離』、『さびしき樹木』(歌集)、『みなかみ紀行』(紀行)など多数。1928(昭和3)年没。

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中里介山文学碑
白骨温泉は、作家・故中里介山が生んだ長編小説『大菩薩(だいぼさつ)峠』により広く世に知られました。故人の功績を讃え偲び、昭和29年に作家・故白井喬二(しらいきょうじ)が中心となり建立された文学碑です。

(なかざとかいざんぶんがくひ)
●白骨温泉観光案内所より徒歩約1分。

山の中の温泉地であった白骨温泉を広く世に知らしめたのは、中里介山作の長編時代小説『大菩薩峠』が新聞連載されたからだといっても過言ではありません。

『大 菩薩峠』は幕末を舞台とし、虚無に取りつかれた盲目の剣士、机龍之介を主人公とした一大巨編で、甲州大菩薩峠にはじまる彼の旅の遍歴と周囲の人々のさまざ まな生き方を描いた稀代の名作といわれています。1913~1941年に都新聞・毎日新聞・読売新聞などに約30年にわたり掲載されましたが、作者の死と共に未完に終わりました。

「やがて白骨の温泉場に着いて、顧みて小梨平をながめたときはお雪もその明媚(めいび)な風景によって、さきほどの恐怖が消えてしまいました。殊に、龍之助はここへ着くと、まず第一に、『これから充分眠れる』という感じで安心しました。」 中里介山『大菩薩峠』より

ものがたりの中で、主人公・机龍之介は白骨温泉に滞在して保養に励みますが、当時「白船(しらふね)」とも呼ばれていたこの温泉地は、中里介山が「白骨(しら ほね)」と描いてからは一躍有名になりました。41巻にものぼる一大巨編ですが、深い山々に囲まれた白骨温泉で、ゆったりした時間のなか読みふけるのも良いかもしれません。

■白井喬二(しらいきょうじ)・作家
明治22年生。本名・井上義道。大衆文学、歴史小説の名手。大正9年「講談雑誌」に「怪建築十二段返し」を発表して作家デビューし、大正14年に直木三十 五や江戸川乱歩らと「二十一日会」を結成し「大衆文芸」を創刊して大衆文学の発展に貢献した。稀代の作家、中里介山を偲び白骨温泉に石碑を建立している。

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三十三観音
江戸時代、白骨温泉の霊泉的効能を得た湯治(とうじ)客の有志が建立したという三十三体の観音さま。優しいまなざしの地蔵尊と観音さまたちを拝観し、効能を授かってみましょう。

(さんじゅうさんかんのん)
●白骨温泉観光案内所より徒歩約3分。

「三日入れば、三年風邪をひかない」とも伝わる白骨温泉の不思議な効能を体得した、伊那谷(いなだに)・三河(みかわ)・飛騨(ひだ)などの湯治客(とうじきゃく)の有志が江戸時代に建立したという三十三体の観音さま。彫られた文字が侵食され、内容の判読が困難であり詳細は不明ではありますが、優しいまなざしの地蔵尊と観音さまに手を合わせれば、効能を授かれたような気分になります。

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散策道
湯上がり後の夕涼みに歩きたい、しっとりとした風情の木道と石畳。春の芽吹きと紅葉の頃が美しいカツラの大木。石畳を歩きながら湯川の流れを眺めつつ、つり橋へ。隧通しと冠水渓が望めます。
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薬師堂
江戸時代(元禄15年)に建立され、今なお「お薬師様」と親しまれ信仰され続ける薬師堂。白骨温泉では湯の成分である硫黄と医療の王様をかけ、「医王殿」とも呼ばれています。

(やくしどう)
●白骨温泉観光案内所より徒歩約15分。

病気やケガ、貧困を除いて延命を導といわれる薬師如来(やくしにょらい)像を本尊とし、仏堂へ祀(まつ)ったお堂。薬師如来は医王如来、医王仏とも呼ばれ、人々が健康を祈願する仏界(ぶっかい)の名医とも伝わります。白骨温泉では江戸時代(元禄年間)より、訪れる多くの湯治客に信仰されています。

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隧通し・冠水渓
湯川の急流が石灰岩を浸食してできた自然のトンネル「隧(つい)通し」。トンネルの出口周辺は「冠水渓(かんすいけい)」と呼ばれ、紅葉の季節には鮮やかな彩りを映す風景が楽しめます。

(ついとおし・かんすいけい)
●白骨温泉観光案内所より徒歩約6分。

竜神の滝前から木道を下ると、湯川にかかる吊り橋に出ます。このあたりを冠水渓と呼び、湯川渓谷の景観が見事なところ。橋の上流には巨大な岩をつらぬいてゴウゴウと川水が流れています。これが隧通しで、湯川の急流が石灰岩を侵食してできた高さ6メートル、長さ20メートルの自然のトンネルです。中に入ることはできませんが、自然の力の偉大さをじっくり感じられる素晴らしい眺めに圧巻。隧通しの崖上にはバス停が、上流には白骨温泉公共野天風呂があります。

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散策道
駐車場から小梨平まで、ゆっくり歩いて30分。秋にはドングリや栃の実が散らばるブナ、ナラ林を抜け、一面の白樺と熊笹が広がる爽快な風景へ。小梨が白い花をつける春もおすすめ。歩きやすい靴で出かけましょう。散策道登り30分・下り20分。
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竜神の滝
無数の白糸のような水の流れが美しい竜神(りゅうじん)の滝。新緑と雪どけのコントラストが見事な早春、紅葉揺らす秋の風景は特におすすめです。

(りゅうじんのたき)
●白骨温泉観光案内所より徒歩約2分。

観光案内所から沢渡方面への道をすこし下った右手にある竜神の滝。緑の苔(こけ)の上を滑るように流れる幾すじもの白糸のような流れがとても美しいです。新緑と雪どけのコントラストが見事な早春と、紅葉が散る季節にはさらに鮮やかな彩りが見られます。

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竜神の滝・氷柱
(1月~2月)竜神の滝の冬の氷柱(つらら)。白骨温泉は標高約1400m。雪深い冬は氷柱は様々なところで見られます。
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展望台
白骨温泉から乗鞍高原に抜けるトンネルの手前の見晴らしの良いところに設置されています。眼下に温泉街が見えます。
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飲泉所
日帰りの方がお持ち帰りになられたり、お散歩のついでにどなたでも飲むことができますように2か所の飲泉所を設置してあります。

(いんせんじょ)
最近は薬を飲むよりも自分の身体に免疫力をつけることが健康に良いと言われていますが、免疫力をつかさどる臓器は「小腸」だと言われています。腸内環境は「ひより見菌」がほとんどのようで強そうな菌の方になびく性質があるようです。やはりその臓器が的確に働くためにも白骨温泉のお湯は効き目があるようです。 昔から常連さんなどは各旅館の湯口からお持ち帰りになられて、それを飲まれると胃など消化器系の調子が良いようになったのはそのような効果もあったからではないでしょうか。